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23年前

[2018.01.18]

1995年1月17日

阪神淡路大震災から23年経ちます。

私は1浪目の大学受験を控えた時期で、

追込みをかけていた時でした。

 

受験結果は全滅、、。

 

落ちることには慣れていたハズですが、

初めて真剣に勉強した1年間だったので

正直凹みました。

 

「親に頭を下げて

2浪してまで医学部に行くのか?」

「2浪しても受からないのでは?」

 

そんな時、高校の同級生から

従兄弟が神戸の西宮でボランティアをやっているけど、

人手が足りないらしい。」と聞きました。

こんな私でも何かの役に立てるかも、、。

 

帰る日は決めず、

寝袋と着替えを詰めたリュックを背負って

西宮に入りました。

 

震災から1ヶ月後の西宮。

まだブルーシートが目立ちます。

 

ボランティアの方が寝泊まりしていたのは

上層階が傾いた西宮市役所の地下。

地下は安全らしいです(ホントか??)。

ここで1ヶ月の寝袋生活。

お風呂は3日に1回程度、

仲間と電車に乗って大阪の銭湯に行きました。

 

西宮市役所の地下にある中庭。

ボランティアの憩い場(?)でした。

食事は避難所で余ったお弁当と暖かい汁物。

 

ライフラインである水道と電気は

少しづつ復旧し始めた時期でしたが、

被災された方の多くは体育館で避難生活。

まだまだ大変な時期だったと思います。

 

我々泊まりで来ていた長期ボランティアの仕事は、

主にリーダー業務。

私は日帰りでボランティアに参加された方を率いて

救援物資を仕分けたり、必要な物資を

被災者が寝泊まりする体育館に配るのが主な仕事でした。

 

現在は取り壊された阪急西宮球場。

 

全国から送られてきた衣類などを阪急西宮球場に集めて

被災者に配る仕事もありました。

 

この震災が日本における「ボランティア元年」と

位置付けられいているように

当時は手探りだったと思います。

また後になって知ったことですが、

私が参加した「西宮ボランティアネットワーク」は

行政とボランティアが緊密な連携による救援活動を行った

日本で初めての試みでした。

このボランティアに携われた事は私の誇りです。

 

そしてお手伝いをして、励ますはずの被災者の方に

沢山励まされました、、(笑)。

「10年浪人しても医者にならなあかんで!」

「2年や3年くらいの遠回り、大した事無いやろ!」

また当たり前に過ごしている日常が、

いかに幸せな事なのかを知りました。

 

震災から23年経ちますが、

自分の人生のターニングポイントと重なり、

忘れる事はありません。

 

市役所の地下で撮った集合写真。

長期ボランティアの仲間達です。

2列目の真ん中が私。

23年前の写真ですが、

現在と変わらない「安定の老け顔」です(笑)。

学生やフリーターを中心に

20人〜30人が寝泊まりしていました。

 

ラコスタ辻堂スキンクリニック

小澤 剛

 

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